暗号と倫理

今日の5限目は暗号・認証と社会制度(第2回)。

暗号の歴史ってことで、スキュタレー暗号:転置式暗号と、シーザー暗号:換字式暗号の解説を受けました。どちらも何千年も前に考え出された暗号で、原理は至ってシンプル。現代暗号の殆どがこれらを複雑に組み合わせたもの とのこと。

 

そう考えると、暗号って何だか小難しいけど、原理は意外と単純じゃんと思ってしまう。が、単純な原理でも複雑に組み合わせれば…、…やっぱり小難しいことに変わりはないな。

次回は共通鍵暗号方式の説明、の前に、数学の勉強とのことです!代数、集合、etc…。あああ。

 

6限目はセキュア法制と情報倫理(第2回)。

現代IT社会の特質とリテラシーってことで、「サイバーリテラシー」なるもののお話でした。

 

お題「日本人の思考・感性が根底から変わったのはいつか?」

明治維新(1868)?

敗戦(1945)?

バブル崩壊(1990頃)?

IT革命(1995頃)??

先生の考えは、IT革命 だそうです。

インターネットが一般的に普及し始めたこの時期こそ、活版印刷技術の登場以来の革命的変化の始りなのだそうです。そして、これからのIT社会を生きるための能力をサイバーリテラシーと言うのだそうです。

 

何だか大げさな…。

果たして日本人の思考・感性を「根底から」変えるほどのものだったのだろうか?活版印刷技術の登場も、インターネットの登場も、情報の通信手段の変化にすぎないでしょう?思考・感性までもが根底から変化したとは思えないのですが?そもそも、日本人の思考・感性ってものを予め定義しないとどう変わったのかという議論は出来ないでしょう。と思いつつ、解説を聞いた。

 

・インターネットの普及により登場した新たな思考の例(と自分は解釈した)「Opt-in/Opt-out」

例えば、広告メールの送信に事前の同意を必要とする「Opt-in」と、広告メールの受信者が事後的に「メールは不要」な旨メッセージを送る「Opt-out」という発想。特に、「Opt-out」が注目されているとのこと。

先週の講義で話題に挙がった「GoogleBook」とか「GoogleStreetview」なんかも「Opt-out」の発想ですね。勝手にやってますけど嫌と言ってくれればやめますよ というやつです。自分の知らないところで自分に影響を及ぼす何かが起きていて、放っておいたら巻き込まれてしまう・だからイチイチ見てないといけないね という時代になりつつあるということです。

そういう時代に対応する能力、Googleの活動と上手くお付き合いする能力wが必要になるってことですね。…それをサイバーリテラシーと言うのか…。

 

・インターネットの普及により登場した新たな感性の例(と自分は解釈した)「ケータイとドタキャンの話」

最近の学生はドタキャンに罪悪感が無い、コンパの約束を10人でしたのに、集まったのは5人だった、ということがよくある と先生が言うのですが、あなたが学生の何を知っているのかと思いつつも、まぁ、そうなのかなぁと。

約束の価値というか、コミュニケーションの価値が希薄になってきているのかもしれないです。ケータイやメールの登場によって。

つまり、いつでも話せるってことに慣れすぎて・コミュニケーションが気軽になりすぎて、相手に対する思いやりの質に変化が起きているのかなと。

ちょっと話が変わりますが、前にどこかのウェブサイトで読んだコラムに、村上春樹のノルウェーの森に対する再考が掲載されていました。

ノルウェーの森の時代には携帯電話が無くって、外にいたら相手に連絡を取る術はなかなか無かった、と。主人公達は常に相手から電話がかかってくることを家の電話の前で待っていたり、ドキドキしながら家に電話をかけたりしていた、と。

つまり昔は、電話をすることにすっごい労力が必要で、誰かとコミュニケーションを取ることに今よりも価値があったのではないかと思うのです。今やいつでも話せる携帯電話がありますけど、昔はいつでも話せなかったんですよね。遠くの人と通信するということが、貴重だったんです。

それが、携帯電話やインターネットの登場により、通信のために必要な時間や距離やコストが格段に低下し、そのために通信の価値(価値観)も低下してきているのだと思います。これは憂うべきことです。

 

…こう考えると、IT革命が日本人の思考・感性を根底から変えた というのも、否定は出来ない気がしてきました。

「根底から」というのはよく分かりませんが、少なくとも大きく変えた・変えていくことは間違いないようですね。

 

…長くなりました。

この授業好きです。